雪に向かって神様は言いました。
「そんなに自分の色が欲しいのならば、誰かに分けてもらいなさい」
そこで雪は、自分のそばにいた花たちに声をかけました。
しかし、赤や黄色の華やかな色の花たちは、
冷たい雪に近づこうとすらしません。
「なんだよ、こんなトコで本読んでたのか?」
不意に頭上からかけられた声に、エリーははっとして本を胸元に寄せた。
見上げれば、いつもと変わらぬ青い瞳が自分を見下ろしている。聖騎士の鎧を身につけたダグラスは、おそらく見回りの途中でエリーを見つけたのだろう。
「あぁ、ダグラスか・・・」
「本なら部屋で読んでりゃいいだろ?風邪ひくぞ」
「ん・・・借りてきたばかりで、すぐに読みたくなっちゃったんだ」
妖精の木の根元、幹に寄りかかるようにして座っていたエリーは、反動をつけて勢いよく立ち上がった。法衣の裾についた枯れた芝生がはらりと落ちる。
「その様子だと、だいぶ長い間ここにいたみたいだな。錬金術の本か?」
そう分厚い本の表紙を覗き込むと、そこには金押しの文字でこう書かれていた。
「植物の物語」
声に出してみて、ダグラスはあからさまに不快な表情を見せた。
「なんだこりゃ?これも錬金術の本なのか?」
「錬金術の本ってワケじゃないんだけど、新しいアイテムを作る参考になるだろうからってノルディスが貸してくれたんだ」
「本なら家に帰ってから読め、って言ってるだろ?襲われるぞ」
新しい本を手にするとすぐに読みたくてたまらなくなり、ついつい家に着く前に読み始めてしまう。そして読み出すと止まらなくなり、時間も場所も忘れて読みふけってしまう。今日もそうだった。
その集中力は素晴らしいのだが、「時間と場所」を忘れてしまうのが問題である。年頃の女性が無防備に人気の少ないところに一人でいることの危険性を、本人はまったく自覚していないのだ。
・・・もちろん、ダグラスの「惚れた欲目」も少なからず入っているのだが。
「うん。もうちょっとで読み終わるから。キリのいい所まで読んでから帰るよ」
「そんなこと言って、結局オシマイまでここで読んじまうんだろーが。送ってやるから、さっさと帰るぞ」
はぁい、とエリーは不服そうに足元の木の葉を拾い上げる。それをしおり代わりに開いたページに挟み込もうとした時、ダグラスがその手を掴んだ。
びくん、とエリーの心臓が跳ね上がる。
「やだダグラス、こんなところで・・・」
「それ、知ってるぞ」
頬を赤く染めるエリーには気づかずに、ダグラスは挿絵をそっと指差した。
うつむきがちに咲く小さな白い花。
「俺の故郷でよく見た。名前は知らねぇけど、たぶん同じだと思うぜ」
「へ、へぇ。そうなんだっ!」
どうやら自分1人で勘違いをしてしまった様子のエリーは、努めて明るく続けた。
「えっと、スノードロップっていうお花なの。ロブソン村でも見たことあるけど、花はなかなか咲かないんだ。だから、その花を見れた人は、その年幸せに暮らせるって言い伝えもあるんだよ」
「それが本当なら、俺の故郷は毎年みんなが幸せになるってことになるな」
言ってから、ダグラスは自嘲気味に笑った。少し意地悪な言い方をしてしまったか。
案の定、エリーはぷぅと頬を膨らませ、ダグラスを見上げている。
「ダグラスは夢がないなぁ」
「で、その本にはそういう話が載ってるのか?お前の言う“夢のある”話ってやつ」
「もう、そんな言い方しなくてもいいじゃない」
閉じかけた本を開き、エリーはゆっくりと文章を読み始めた。
途方にくれた雪の足元で、小さな声がしました。
「私の色でよければ、どうぞ。
きれいでも、珍しくもない私ですが
貴方に色をわけることならできますから・・・」
声の主は小さな雨粒のような花を持つ植物でした。
こんなに近くにいたのに、いままで雪は
まったくその花に気づきませんでした。
そして、自分に色を分けてくれるという小さな花に
涙を浮かべてすがりつき言いました。
「ありがとう。でも、そんなに小さな体なのに
私に色を分けてしまっては
あなたの姿はすぐに埋もれてしまうでしょう。
ならば、色を分けてくれるお礼に
私はずっとあなたをお守りしましょう」
「素敵なお話だよね。互いに思い遣る心を、この花は雪に教えてあげたんだ」
「なんだ、子供向けの道徳本か」
「またそういう言い方する」
真っ白な雪に包まれ、ひっそりと咲いている小さな花。
小さいながらも自分にできることをして、周りの人を喜ばせたい。
「私も、そんなふうになりたいな」
心にしまいこむようにつぶやいて、エリーは本を閉じた。
錬金術師としては、自分はまだまだ力不足なところもある。それでも、そんな自分を頼ってきてくれる人がいる限り、頑張り続けたい。
それが、今の自分のできることだから。
こつん、と額を小突かれ、エリーは我に返った。
「思い耽るのはそれくらいにして。さっさと帰るぞ」
そっぽを向いたままダグラスがエリーの腕をぐいと引っ張る。その頬が赤くなっているのは気のせいだろうか。
エリーはひきずられるように歩き出し、職人通りへと足を進める。
冬の陽は空を赤く染め上げ、西の空から夜が近づいてきている。いつの間にそんな時間がたっていたのだろう。
ダグラス言ったとおり、彼が現れなければエリーはあの場で暗くなっても本を読み続けていただろう。
(口は悪いけど、心配してくれてるんだよね・・・)
ダグラスがぴたりと足を止めた。工房に着いたのだ。
「あ、ありがとう」
「・・・・・・あの花、欲しいか?」
急に聞かれ、それがスノードロップの事だと気づき、エリーは首を振った。
「調合に使うわけじゃないし、あの花はこの辺じゃ本当に貴重なんだから」
「俺の故郷じゃ、そんなに珍しくないって言ったろ?」
「でも、ダグラスの故郷って遠いんでしょ?ただ、見てみたいなぁって思っただけだし。別にいいよ」
「───っ、だから!」
頭を掻き毟りながらダグラスが怒ったように続けた。
「一緒に見に行かないか、って言ってんだよ!」
「・・・・・・・?」
なんで怒っているのかわからない、というふうにエリーは首を傾げる。口元に手をやり、少し考え込むような仕草で答えた。
「そりゃあ、見に行きたいよ?でも、私はともかく、ダグラスはそんなに長くお仕事休めるの?」
「お前を故郷に連れて行くって言えば、隊長だって1ヶ月くらい許可してくれるさ」
エリーは逆方向に首を傾げた。いくら自分が王様と面識があるからとはいえ、そんなVIP待遇はされないだろう。
頭の中にクエスチョンマークを飛ばしまくっているエリーに、半ばあきらめたようにダグラスが言った。
「・・・とにかく、あまり遅くまで外でのほほんと読書してんじゃねぇぞ。じゃあな」
「あ、うん。またね」
白いマントを翻し、ダグラスは今来た道をとぼとぼと戻っていく。深いため息をついているようだが、エリーは何がいけなかったのかよくわからず、ただ後姿を見送って、工房の中に入った。
テーブルに本を置き、ランプに灯を点す。
「カリエル、かぁ・・・どんな所なんだろう」
シグザール王国の北にあって、いつでも雪が積もっていて、当然1年中寒くて、スノードロップの花が咲いている。そんなダグラスの故郷。
彼と一緒に行けたら、いろいろ案内してもらえるだろう。泊まる場所も、彼の家にご厄介になれば宿代はかから───
「あぁっ!」
そこで重大な問題に思い当たった。
ダグラスの故郷に行くということは、ダグラスの実家にも行くかもしれない訳で。
ということは、ダグラスの家族にご挨拶するということになるかもしれない訳で。
そこで、ダグラスは自分を紹介するにあたって付ける形容詞は当然・・・・・・。
「もしかして、ダグラスってば・・・っ」
「おねーさん、急に大声出してびっくりするじゃないか」
中和剤の調合をしていた妖精が抗議に来ても、エリーは宙を見つめパクパクと口を開けている。その顔は、いや体中が真っ赤に茹ってしまっている。
この状態じゃ何を言っても無駄だ、と妖精が背を向けた時、エリーはぺたんと床に座り込み、大きなため息をついた。
「今さら言うのも、なんか的外れだよねぇ」
「人生の一大事」のきっかけを自ら流してしまったことに、とほほと言うしかないエリーだった。
|