謹賀新年


「はーい。あいてまーす」
 聞きなれたノックの音に返事はするけれど、その主はいつも、返事をする前に扉を開ける。
 それはもう慣れていて、困る事もないのだけれど。
「―――ダグラス?」
 返事をしながら振り向いたエリーは、そこに凍りついた青年を見た。

「…そんなに怒ることないじゃない」
「口より先に手を動かす!」
 ぽそりと呟いた小さな言葉に、命令口調の声が被さる。
『産業廃棄物A』の山を袋に詰めて、読み散らかした参考書を一箇所にまとめる。
 たとえ『生きているホウキ』が埃を掃き続けようとも、『生きているゴミ箱』がゴミを食べ続けようとも、それを覆う主人の大切な物に触れる権限はなく。
 結局は、散らかした物は自分で片付けるしかないのである。
「…でも。だって、忙しかったんだもん。年末で、みんな物要りでしょう? だから…」
「だからって、お前な。明後日はもう新年だぞ? それに明日は武闘大会だ。見に来ねえなんて、言わせねえぞ」 
 ダグラスが毎年、この日のために努力していることは知っている。だから、見に行かないつもりなんてないけれど。
 仕事続きで掃除にまで手が回らなかった、などというささやかな言い訳は、この掃除魔には通用しなかった。
 このまま新年を迎えるつもりだっただなんて、とても言い出せはしない。
「で? どんな仕事が残ってんだ?」
 明らかに不機嫌そうに、ダグラスは調合台の下にこびり付いた謎の染みを削り取りながらエリーに聞いた。
「えっと急ぎのは…、新年会用の『酔い止めの薬』と『栄養剤』かな」
「新年会? そんなもん自己管理すりゃいい話じゃねえか。よし、分った。俺が断って来てやる」
「ええっ!?」
「自分のこともままならねえのに、他人のこともねえだろうが。手伝ってやるから。今日中に終わらせるぞ」
「あ! ちょっとダグラス! そんなことしたら…」
 信用が…、といい終わらないうちに、ダグラスは颯爽と出て行ってしまった。

 まあ、それはそれで。お掃除も出来て、お正月の休みも取れて、武闘大会もゆっくり観戦することができたのだから、よいのかもしれないけれど。
 でも、どうしてダグラスはそこまでして掃除を優先させるんだろう?

 今年の武闘大会も例年通りエンデルクの優勝で、ささやかながら飛翔亭でダグラスの残念会を行った。
 残念だったけれど景気付けに『幸福のワイン』を贈るため、ラッピングで少々工房を散らかしてしまったのはもちろんダグラスには秘密である。
 もちろんダグラスは喜んでくれて、エリーもとても嬉しい気持ちになったので、そのことはすっかり忘れていたのだけれど。
 不意に疑問を思い出して問いかけてみたならば、簡単に答えが返ってきた。
「ヤツが来るからに決まってんだろう?」
「ヤツ…?」
「そうだ。ヤツだ」
 ダグラスの神妙な表情につられて、エリーも思わず息を呑む。
「年末の汚れを残しておくとな? ヤツはそれを吸収して巨大化し、大暴れするんだ。そうしたらこのザールブルグだってひとたまりもねえんだぜ?」
「えっ? そ、そうなのっ???」
 それは大変な事態である。
 エリーは慌てた顔をしてダグラスを見上げた。
「騎士隊は? 騎士隊はそんな危険なモノを放っているの?」
「ヤツは汚れさえ吸収しなければ、街にも大切な存在なんだ。迂闊に手出しできるような存在じゃねえ」
「そんな―――! じゃあ、現れたらどうしたらいいの?」
『時の石版』で固めるか、『安眠香』で眠らせるか―――。
 エリーはありとあらゆるアイテムを思い巡らせた。
 でもその存在に対する影響は、街に対して一体どんなものなのか。
 動いていないといけない存在なのだろうか。眠らせてしまってもいいのだろうか。
「―――ヤツって一体、何者なの?」
 敵に性質よっては対応も変わっていくのだろう。が。
「ヤツってなあ『新年』だ」
 ダグラスの一言に、エリーの思考は停止した。

「新…年?」
―――冗談?
『ヤツ』に対する熱は冷め、代わりに怒りがこみ上げる。
 本気にして聞き入って、心配していたというのに!
 講義しようとした瞬間、思いもよらず引き寄せられて、エリーは目の前の胸板に鼻をぶつけた。
「な…、ダグ…?」
 怒りも忘れてただ困惑し、彼の見つめるその先を見ると。
「ヤツだ」
「―――ヤツ?」
 夜の街並みの向こうに立ち上がるのは、とてつもなく巨大な鏡餅。
『ぷにぷに』のようにかわいい顔をしているけれど、ただ普通に歩いているだけのようだけれど、その破壊力は凄まじそうだ。
「お前、アカデミーに行ってろ。あそこなら頑丈に出来てるはずだし、知り合いも、身を守るものもあるだろう」
「え、ダグラスは?」
 敵の反対側に押し出されて、エリーは少々不安を覚えた。
 公務外のダグラスは、鎧もなく、剣もない。一旦は城に戻るべきだと思うのに。
「武器ならそこで借りる」
 運良くそこは、いつもお世話になっている武器屋の近くだった。
「あれだけ大きけりゃ、城のやつらも気付くだろうからな。とりあえず被害が広がらねえように食い止める」
「私も手伝う!」
 ダグラスの強さは知ってはいるけれど、一人でなんて置いては行けない。
 けれど。
「悪い。倒せばいいって敵でもねえし、これは聖騎士としての仕事だ」
 彼の表情は真剣そのもので、いつもの友人の顔ではない。
 それに、考えてみれば非力な自分がこのままで手伝えるはずもない。
 とても心配で、とても手伝いたいのだけれど―――。
「分かった」
 エリーは頷いて、工房へと向かった。

「えっと、これとこれと…、そうだ! 一応これも!」
 工房に戻ったエリーはアイテム棚をかき回し、目当てのアイテムを見繕っていく。
 床に放り出されたアイテムが散らかっていくけれど、今は気にしている余裕はない。
 早く、早く彼の元に戻らなければならないと、そればかりで必死である。
 ダグラスはアカデミーで身を護れと言ったけど、それはエリーが非力だから。
 それ相応の戦闘力があれば、手伝ったっていいだろう。
 ダグラスは『聖騎士』としての仕事だと言った。だからエリーは『錬金術士』としての仕事をする。
 それならば、何も文句は言えないだろう。
「よし。準備OK!」
 アイテムを持って街の外に駆けつけると、『新年』はさらに巨大化し、ダグラスは相当苦戦しているようだった。
「本当に固まったお餅みたいだ…」
 何度切りつけても歯が立たないようで、体力だけを消耗していく。
 騎士隊はまだ、作戦でも立てているのだろうか。せめて応援を送ってくれればいいものを。
「ええい!」
 とりあえず『時の石版』を起動させ、ダグラスの体力を回復させる機会を与える。
「戻ってきたのか!?」
 肩で息をしながらも、彼は驚いたようにエリーを振り返った。
「アイテム、持ってきたの。私でも手伝えるでしょ?」
「―――あ、ああ。助かった」
 それでも怒られるかと思っていたのに、彼は素直にそれに応じた。
「ヤツは全く攻撃して来ねえ。これだけしても傷ひとつつかねえし、俺のことなんかお構いなしに進んでやがる」
『新年』のつぶらな瞳はどこを見ているのか。
 街を通り越してヴィラント山の彼方。ずっと果てを見つめている。
「どこに行きたいんだろう…」
「目的があるんだかねえんだかわからねえが、とにかく街は迂回してもらわねえとな」
 そうこう考えているうちにようやく騎士隊が到着し、『生きている縄』で編まれた大きな網が用意された。
「ダグラス、待たせたな」
 騎士隊長がダグラスの脇を通り越し、各部隊に指示を始める。
 大きな網で包み込んで、引っ張ろうとでもいうのか。
 けれど、用意された網では足りないほど巨大化したそれは、石版の結界が切れると同時に騎士隊を引きずりながら動き始めた。
 全く障害となっていないかのようである。
「隊長!!」
「エンデルク様!!」
 二人が駆けつければ、騎士隊長は考え込むように腕を組んでいる。
「以前ヤツが現れたときは、これほど巨大ではなかった。ゆえに、この作戦で進路を変えることが出来たのだ」
「以前って、前例があるんですか?」
 原始的な方法はともかく、前例があること事態にエリーは驚いた。
「私がこの街に来てからはまだ二回目なのだがな。しかし、全員に『怪力の妙薬』を与えても無理となれば…」
 エンデルクが指示をすると、部下たちは大量の火薬を用意し始めた。
「爆破、するのですか?」
 ダグラスが神妙に問いかければ、エンデルクは静かに首を振った。
「いや、ヤツを傷つけることはご法度だ。目の前で爆破させ、自主的に方向を変えて貰うのだ。出来れば街の住人に気づかれないように処理したかったのだが…」
 確かに、街の外とはいえ、こんな場所で大量の火薬を発火させれば、市民は驚いて起き出してくることだろう。
 そして『新年』の姿を見ればパニックを起こし、新年早々街中が混乱してしまう。便乗犯罪も起きることだろう。
「傷つけることがご法度ってことは…」
 エリーが呟けば、必死に戦っていたダグラスは少々青ざめた。
「工房の屋根裏部屋で『テラフラム』っていうのを見つけたんだけど、これも使えないってことだよね」
「『テラ…』って、おい! お前の工房は何隠してやがんだ!」
 ひょいと取り出したそのアイテムにダグラスはたじろぎ、エンデルクも少々顔を強張らせた。
「? 破壊力の大きい爆弾ってことは知ってるんだけど、これってやっぱりすごいものなの?」
「知らねえんならぞんざいに扱うな! 没収だ!」
「え? え? えぇーっ?」
「そうだな。どちらにしても、それは使わぬ方が良い。諸刃の剣ならぬ諸刃の爆薬だ」
 エンデルクにまで同意されれば、取り戻すことなど叶わない。
 ついつい諦めきれずに目で追ってしまうのだけれど。
「隊長!! 火薬の準備が整いました!!」
 しばらくしてエンデルクの部下が伝えに来ると、ふと、エリーの脳裏にひとつのアイテムが浮かび上がった。
 伝えに来た部下は以前、エリーに『君しか見えない』を依頼した青年だ。
 ほんのりと頬を染めて、次の指示を待っている。
「ご苦労。それでは…」
「あ! 待って!」
 エリーが遮ると、彼は少しむっとしたような瞳をこちらに向けた。
「…あ。ごめんなさい。あの、えっと、ひとつ試してみたいアイテムがあるんです」
「試す? ヤツを傷つけずに、何か方法があるっていうの?」
 隊長との会話を邪魔したのがいけなかったのか、言葉に少々とげがある。
「…いえ、やってみないとわからないんですけど…」

 エリーが『ローレライの鱗』を装備すると、エンデルクもダグラスも、彼女から目を離せなくなってしまう。
 それがこのアイテムの効果であり、当たり前のことなのではあるが。
 一人だけ、嫉妬心を隠せない聖騎士がいるが、今は気にしてなどいられない。
「準備いいか?」
「うん!」
 戦うことになるだろうと予想して準備してきたそれを、別の利用法をするとは思っても見なかったけど。
 うまくいくといい。
 ダグラスが操る馬の上に立ち、エリーは必死に『新年』に自分をアピールする。
 何はともあれ、視界に入らなくては意味がない。
『空飛ぶホウキ』が完成していれば、簡単に目の前に出ることができるのに。
 そう思っていると、少し考え込んでいたダグラスがエリーの腰を引っ張り下ろした。
「ちょっと手荒だが、一度座ってしっかり捕まってろ」
「え? どうするの?」
「駆け上る」
「え? …ちょっと、うわあ?」
 助走をつけて、地面に引きずるお飾りのわら紐を、崖に見立てて一気に駆け上る。
 ダグラスの腕に護られているとはいえ、馬の上でほぼ垂直に近くて。
 エリーは必死にその腕にしがみつき、重心を変えないように心がけた。
 そしてようやく上段のお餅の上まで来たものの、顔は巨大なみかんにある。
「さて。どうするか」
「葉っぱ引っ張って落としちゃう?」
「届かねえだろ? …ってか、ここから見るとあの顔、まるで落書きだな」
「そうだね。誰かが書いたみたい。…そうだ!!」
「え? あ、おい!」
 依頼をメモするために、紙とペンはいつでも持ち歩いている。
「ふっふっふ。書いた目で見てるなら、もうひとつ書いた目でも見えるんじゃないかと思って」
 そう言ったとたん、今エリーが書いた目がぱちくりと動いた。
「うそっ」
 ちらり、と、エリーを見て、『新年』自体の動きが止まる。
「ほんとに見えてやがんのか?」
 ダグラスも思わず呆れてしまう。だが。
「行くぞ!」
「うきゃあ?」
 ダグラスがエリーを小脇に抱えて馬にまたがると、間一髪、わらの飾りが一筋、エリーを追いかけてきた。
「『魅了』は成功したみてえだな」
 馬ごと一気に駆け下りると、うまいこと『新年』も方向を変えた。
「まさか本当に書いた顔だったなんて!」
「おいおい、そのつもりだったんじゃねえのか?」
 ずるずると、かなり巨体は重そうであるのに、スピードはダグラスの馬とそんなにも変わらない。
 気を抜けば追いつかれてしまいそうである。
「このまま一気に街の向こう側に行くぞ。そしたらすぐにその装備を外すんだ」
「うん。分かった」
 けれど、考えは甘かったのか。
 装備を外しても『新年』の追跡は終わらない。
「おい、落書きのことを怒ってんじゃねえのか?」
「そう…かな…?」
 徐々に馬も疲れ果て、『新年』との距離が縮まり始める。
「くっそ、このままじゃメディアの森に着いちまう」
「森に隠れれば逃げ切れるかも」
「そうだといいが。…うわっ」
 いつの間に追いついたのか。いや、解かれたわらの飾りがぐんと伸びて、エリーを包み込んだダグラスごと絡み付いてきた。
「ダグラス!」
「解けねえ!」
 わら紐が二人をみかんの前まで持ち運ぶと、そこに書かれた顔がにやりと歪む。
「笑ってる?」
「どうする気だ?」
 警戒したとたん、『新年』は巨体にあるまじきほど身軽に、ぴょん、一飛び跳ね上がった。

 ざぶん、と、大きな水しぶきが上がった。
 いや、それは水ではない。少々熱めの、お湯。
 一瞬のことでどうなったのか分からなかったが、この場所には見覚えがある。
「ミュラ温泉?」
 ほとんど温泉地いっぱいに、『新年』は気持ちよさそうに浸かっている。
 その片隅に、エリーとダグラス。
 わら紐がこしこしとみかんをこすると、エリーが書いた小さな目が消え失せる。
 次いで、エリーの髪や頬、ダグラスまでもこすり洗って、満足げに瞳を閉じた。
「えーっと、これは?」
「温泉に浸かりに来ただけなのか?」
 やがて東の空が明らんで、金色の光が姿を見せた。
「初日の出? きれい! こんなところで見れるだなんて! しかも温泉に浸かりながら? すっごい贅沢!!」
「お前、順応が早えな…」
 振り返れば『新年』の姿はすっかり消えていた。

「ヤツがさらに巨大化したのって、まさかお前のせいなのか?」
 工房の散らかり状況を見たダグラスにお説教されたのは、ミュラ温泉からようやく帰り着いた正月6日目のことだったとか。

 謹賀新年。
 身も心も、そして身の回りも、謹んで新年を祝しましょう。


最近コッソリ伺っている『Wood Drop's』篠亜様のフリー作品をいただいちゃいました。
霜月はコレをフリーと銘打たれる前に一度読んでしまったのですがw
なんといっても「新年」の強烈さにずどーんと胸を打たれちゃいました。
ゆっくり、どすーんどすーん(本人的にはぽよんぽよん)と近づいて来る「新年」。
その情景が目に浮かんで、そして対照的なシリアスモードなダグラスに萌え〜。
私もこういう『情景が浮かぶ作品』を書けるように、願をかけさせていただきます(ぇ
篠亜さん、素敵な作品をありがとうございます! そんな素敵な篠亜さんのサイト『Wood Drop's』へはこちらからどうぞ〜。

いただき物TOPへ

女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理